平野美宇の父親の病院はどこ?宮崎医科大学出身の内科医だった!

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パリオリンピックの女子シングルス卓球女子日本代表内定を確実にした、平野美宇選手

”ハリケーン”の異名を持ち、由来である超高速両ハンドが持ち味です。

平野選手は卓球家族でご自身も3歳から卓球を始めたそう。

さらに卓球経験者の父親は医者ということで話題になっています。

そこで今回は、

平野美宇の父親の病院はどこ?宮崎医科大学出身の内科医だった!

について調査しました。

目次
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平野美宇の父親はお医者さん!

平野選手の父親についてまとめました。

父親のプロフィール

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スポニチ

名前:平野 光正 (ひらの みつまさ)
生年月日:1968年12月21日
年齢:55歳 (2024年2月時点)
出身地:山梨県
出身校:筑波大学→宮崎医科大学

光正さんは、1968年に山梨県で生まれました

平野選手の祖父母にあたる、光正さんの父親は山梨大学名誉教授をしており、

卓球部の顧問をしたり、国体の監督や役員をしていました。

ご自身も卓球選手として国体にも出場したほどの経歴の持ち主です。

母親も、卓球クラブチームに所属する選手だったようで、光正さんは卓球一家で育ちました

そんな環境で育った光正さんはめきめきと上達し、

卓球がもっとうまかったら実業団かプロ選手になりたかったと思ったほど。

筑波大学時代は、エースで主将を務めていました。

同じく女子卓球部の主将であった真理子さんとその後結婚。3人の娘に恵まれました

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日刊スポーツ

光正さんは現在、ご自身の夢を託すかのように娘である平野選手をサポートしています。

宮崎医科大学出身

平野選手の父、光正さんは、宮崎医科大学出身です。

光正さんは、昔卓球をしていてかなり強かったそうです。

そのため高校卒業後は、卓球の推薦で筑波大学に進学

筑波大学では卓球部に入部しエースとして活躍。

全国国公立大学卓球大会では1987年と1988年に2連覇を果たしました。

卒業時には明確な進路を決めることができなかったそうですが、

小学校の時の恩師から医者という職業の尊さを教えてもらったことを思い出し、

さらに筑波大学では体育スポーツを学び、身体の仕組みや健康について医学を通して学びたいと思い

医師を志すようになりました

筑波大学卒業後に、宮崎医科大学に進学

医科大学に進学後も卓球は続けていたそうで、6年間負けなしだったそうです。

平野美宇選手のお父さんは医学部の卓球界では伝説的な人物の一人で、医師で卓球をしている人で、平野光正さんを知らない人はいないと言っても過言ではありません

goo 心療内科新(あらた)クリニックのブログ

卓球界のレジェンドだった光正さんですが、医科大学卒業後は、内科医として勤めています

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平野美宇の父親の病院はどこ?

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平野選手の父、光正さんの働いていた病院や現在について調査しました。

2012年甲府城南病院

光正さんは2012年時点では、甲府城南病院に勤めていました

甲府城南病院
住所:〒400-0832 山梨県甲府市上町753−1

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